IJA VESSELS 1/700 JAPAN

IJN NAGATO CLASS
BATTLESHIP MUTSU

KIT : FUJIMI IJN BATTLESHIP MUTSU 1941 TOKU-33


JULIETT – GOLF – JULIETT – ALFA (MUTSU CALL SIGN)

陸奥
陸奥(むつ)は青森県と岩手県の一部にまたがる旧国名陸奥国を名前の由来に持つ、日本海軍の戦艦である。
長門型戦艦の2番艦で、八八艦隊計画二番手として、1918年に横須賀海軍工廠にて起工され、1921年に完成した。
1番艦の長門と共に、日本の力の象徴として戦前の国民に長く愛された。戦前の学校の教科書に描かれたり、男子がイメージする軍艦といえば、当時の連合艦隊旗艦である長門や、陸奥であったといわれる。
第二次世界大戦中には僚艦長門らと共に温存されていたが、1943年の6月8日、原因不明の爆発事故を起こし柱島沖で沈没。戦後に浮揚作業が行われ、1970年には、艦体の一部や菊の御紋章、主砲身や主砲塔などが回収され、日本各地で陸奥の装備が展示された。
大戦末期にアメリカ軍の攻撃で戦没した後、終戦後には浮揚され、解体処分された他の日本軍艦と異なり、艦体の一部が現在も沈没場所に残っている。
太平洋戦争中は広島湾周辺で他の戦艦ともども温存され、1942年6月5日のミッドウェー海戦に参加したが、部隊後方のため戦局への寄与は無く、第一航空艦隊壊滅後に呉に帰投している。その後も大きな動きが無いまま1943年6月8日、広島湾沖柱島泊地に停泊していたが、修理を終えて桂島泊地に向かう長門に旗艦ブイを譲るため、午後1時から繋留替えをする予定になっていた。航海科員が錨地変更作業の準備をしていた12時10分ごろ、陸奥は三番砲塔付近から突然に煙を噴きあげて爆発を起こし、一瞬のうちに船体が2つに折れ、艦前部は爆発後すぐに沈没した。この時、360tもの重量がある三番砲塔が艦橋とほぼ同じ高さまで吹き飛んだという目撃証言もある。
艦後部についても爆発後しばらくは艦尾部分を上にして浮いていたが程なくして沈没した。乗員1,474人のうち助かったのは353人で、死者のほとんどは溺死でなく爆死だった。
陸奥の南南西約1,000mに停泊していた扶桑は「陸奥爆沈ス。一二一五」と発信、以後陸奥に関する一切の発信は禁止された。また付近の航行は禁止され、死亡した乗員の家族には給料の送金を続けるなど、陸奥の爆沈は一般には秘匿され、国民は戦後になるまでこの事件を知らされなかった。
陸奥爆沈時の第一艦隊司令長官であった清水光美中将は責任をとらされる形で予備役に編入されている。爆発事故直後に査問委員会が編成され、事故原因の調査が行われた。検討の結果、自然発火とは考えにくく、直前に陸奥で窃盗事件が頻発しており、その容疑者に対する査問が行われる寸前であったことから、人為的な爆発である可能性が高いとされるが、真相は未だに明確になっていない。
謎めいた陸奥の最期は、フィクションの題材にもなった。 この他、爆発の原因はスパイの破壊工作、乗員のいじめによる自殺、一下士官による放火などが挙げられている。
旧海軍では、乗員の自殺に伴う爆発沈没事故が発生しており、問題を隠蔽するため原因不明の事故扱いになっているとされる。
陸奥爆沈の約1年半前の1941年12月30日、駆逐艦潮が出撃準備中に爆発水深25メートルにセットしたたまの爆雷1個を陸奥爆沈地点に誤って落とした。落としたが爆発はせず、その後引き上げもされず放置された。落とした事実は上級士官に報告されなかった。
この付近は水深25メートル前後であり、陸奥移動時のプロペラの回転により海底が変化し、爆雷が爆発したことが原因であると駆逐艦潮の元乗組員は結論づけている。爆沈直後から海軍は陸奥引き上げを検討した。可能であれば3ヶ月の工期で再戦力化したいという希望を持っていたが、調査の結果、船体の破損が著しく再生は不可能と判断されたため、浮揚計画は放棄された。
1970年からサルベージが再開され、山口県大島郡周防大島町の陸奥記念館では、引き揚げられた艦首部分や武装の一部、乗員の遺品などが展示されている。
引き揚げ当初は1500tクレーンによって艦尾引き揚げを試みたが、引き上げワイヤーが切断したため断念された。その後、第4砲塔が引き揚げられ内部から数点の遺骨が回収された。
現在は艦体の約70%が浮揚され、艦橋部と、艦首部等を除く艦の前部分などが海底に残っている。

Wikiより GFDL上の著作権表示
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SPECIFICATIONS :
TYPE : BATTLESHIP
COMMISSINED : 1921 FATE : 1943 SUNK AT HASHIRAJIMA BY ACCIDENT
CLASS : NAGATO CLASS
NAME : MUTSU (PLACE NAMES (TOHOKU REGION) USED DURING THE RITSURYO PERIOD)
DISPLACEMENT : STANDARD 39,050t, TEST -t, FULL LOAD -t
LENGTH : 224.94m BEAM : 34.60m
ARMAMENT :

PRIMARY GUN4×45CAL. 41cm GUN
SECONDARY GUN20×50CAL.14cm GUN > 18
AA GUN4×40CAL. 7.6cm SINGLE AA GUN > REMOVED
REPLACED 4×40CAL. 12.7cm TWIN AA GUN
AA MGEXPANSION 10×25mm TWIN MG
MG
ROCKET LAUNCHER
TORPEDO8×53cm TORPEDO TUBES > REMOVED
DEPTH CHRGE
OTHERS

AIRCRAFT :
3×SEAPLANE

ADDITIONAL :

LIST OF SHIPS :
長門型 : 長門 | 陸奥

PARTS LIST :
1/700 フジミ製 日本海軍 戦艦 陸奥 開戦時 特-33

PAINT COLORS :
リノリウム押え : CREOS MC219 BRASS
船体 : CREOS C32 DARK GRAY (2) 50% + C62 FLAT WHITE 50%
リノリウム : CREOS C42 RED BROWN
帆布 : TAMIYA XF-2 FLAT WHITE 80% + XF-57 BUFF 20%
アンカーチェーン : TAMIYA XF-56 METALLIC GREY

MODEL SIZE :
LENGTH:xxxmm
WIDTH:xxxmm
HEIGHT:xxxmm

TIME LINE :
2013年01月30日 竣工
2012年11月01日 製作開始
REF.# N/A

POSTSCRIPT :

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1941

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